24時間テレビ「本当の母親じゃない」告白を全国放映する違和感

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24時間テレビの番組内容に新たな批判が巻き起こっています。

今年で40回目となる「24時間テレビ 愛は地球を救う」では、「告白」をテーマに構成されましたが、その中で、母親が5歳の息子(◎◎君)に対して、「◎◎の本当のママは、このママじゃないの」と告白するシーンがあり、「テレビで全国に晒すことじゃないだろう」といった様々な批判の声が上がっています。

(ネット上には当該場面の動画もアップされていますが、当サイトでの引用は控えます)

テレビで公開告白するような内容とは思えない

私は24時間テレビは全く見ません(=見ないようにしている)ので、この内容はSNSで知ったのですがビックリしました。まだ5歳の幼い息子に対して、実の親子ではないという重い事実をテレビ番組という衆人環視の中で告げる必要性があるとは全く思えません。

この告白に至った経緯を私は存じませんが(告白したい人を番組が募集したのだろうか?)、テレビ番組で公開にて行うのをこのお母さんが望んだのだとすれば、その判断は尊重する必要があるのかもしれませんが、それでもテレビで公開でやることなのかという違和感は強く感じます。

特に、幼いながらも、母親の涙の告白を受け止めようとした息子さんは偉いし健気だと思います。でも、息子さんが今後成長していくにしたがって、親の意向によって「24時間テレビで実の親子でない旨の告白が放送された」ということの意味について、不満や葛藤が生じる可能性があるのではないでしょうか。

一方、この重い「告白」を母親がまだためらっているような状態なのを、番組側が背中を押すような事前の打ち合わせなり収録なりがあった可能性はないのでしょうか。私は、今回の放送内容が、母親自らの判断で公開告白を望んだものだったとしても、テレビ局側としては断るべきだろうと思います。なぜなら、親子関係、特に出生に関わるきわめてプライベートかつセンシティブな内容は、あくまで親子の間あるいは家族・親類、場合によってはごく限られた友人関係の間などでのみ、共有されるべきものであると思うからです。しかも、伝え方、場所、年齢、タイミングもとても大事なのは言うまでもありません。にもかかわらず、親子だけで話すのではなく、番組収録スタッフが立ち会う中で告白し、さらに全国に放送するようなことなのかという違和感を覚えます。

また、百歩譲って、どうしてもこのシーンを収録し放送するのであれば、収録方法についても、ひと言、疑問点を書いておきたいと思います。録画収録の場合、いわゆる「リテイク」(やり直し)が付き物です。今回の告白する場面の収録は、内容が内容だけに、絶対に「一発撮り」でやるべきだと思います。ただ、告白がぎこちなかったりして、何度もやり直しをさせたり、「もう少し感情をこめて」とか「もっと悲しい感じで」といった具合に、現場から注文をつけたりしていないかという点も気掛かりです。もし告白する側の母親だけでなく、子供に対してもリテイクをさせていないのかという点は心配に思います。まさか、そこまでしないだろうとは思いますが、番組制作側のモラル低下についても問題視される昨今ですから、無いとも言いきれないと思います。

BGMやワイプまで駆使する必要があるのか?

今回の告白シーンでも、悲しげなBGMがバックに流れ、櫻井翔の「がんばれ!」といったコメント、画面右下に入れられたワイプ(別画面)の中にスタジオのメンバーの悲しそうな表情が入れ替わり立ち替わり映し出されるといった、ある意味お定まりな過剰演出の駆使には、うんざりしてしまいます。

ドラマや映画の世界ならこういう演出もアリでしょう。でも、現実の世界の重い告白を、ドラマ仕立てや映画仕立てでやることに、私は反対です。このようなセンシティブな話はあくまでセンシティブであるべきです。決して見世物にするような内容ではないと思います。

また「24時間テレビ」にネガティブな事例が加わってしまったと思います。

 

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録画収録から放映まで間の「心変わり」は尊重してもらえるのか?

そして、これはあくまで推測と憶測のレベルの話ですが、この告白シーンの収録に臨むにあたり、お母さんが完全に納得しているのかどうかも疑問に感じます。いったん母親が「えいや!」の気持ちで公開前提の告白をしようと決意し、録画収録に応じたとしても、途中で心変わりし、「やっぱりやめたい」とためらうことはなかったのでしょうか。

そして、もしためらったとして、当該場面の放映を中止にできるオプションを、この親子は番組放映ギリギリのタイミングまで持ち合わせることはできたのでしょうか。もしも、この親子の気が変わり「やっぱり放映を取りやめてほしい」と言ったとしても、「もう収録しちゃったので、今さら中止は無理です」という「強行突破」はなかったのでしょうか。今回は最終的に放送まで漕ぎつけていますが、「やっぱりやめたい」「この話はなかったことにしてほしい」と途中から出演者側が心変わりしても何ら不思議ではない、それほどの重い内容です。

今回のこの番組でどのような打ち合わせがなされたかや、放送までに紆余曲折があったのかも含め知る由もありませんが、私は、内容が内容だけに、どうしてもこのような繊細かつプライベートすぎる内容を放送したいのであれば、録画収録から放映までの間に心変わりが生じる可能性があることを尊重し、ギリギリまで放映を中止することを要求できる選択肢を、出演者側に付与すべきだと思います(ただ、恐らくですが、やっぱり実際は逆なんでしょうね。出演者の心変わりが生じて放送できなくなることを防ぐために、「収録後の中止要求はしません」という念書を取ってるのかもしれませんね。あくまで憶測ですが)。

「感動の押し売り」はここまで来たのか

24時間テレビをめぐっては、これまでも事あるごとに、「感動の押し売りだ」といった批判が巻き起こっていますし、もっと強い表現ですと、いわゆる「感動ポルノ」なる言葉の代表的事例に思い浮かぶほどの演出過剰が目につきます。

これがテレビの果たすべき役割なのかはなはだ疑問ですが、「感動した」「がんばって」という率直な印象を持つ人ももちろんいます。かくいう私も、24時間テレビの過剰演出ぶりには辟易としつつも、このようなセンシティブな境遇の中で、息子に思い切って告白をし、前向きに人生を一緒に生きていこうという姿には感動を覚えます。「批判しておきながら結局感動しとるんかい!」とツッコミが来そうですが、それが偽らざる心境です。でも、繰り返しになりますが、このシーンには、やはり強い違和感を覚えずにはいられません。

今回で40回を数える24時間テレビ。こういう過剰な演出のまま50回60回と歴史を重ねていくのかと思うと、溜息が出ます。

 

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