教師による体罰の今昔から 先生と生徒と保護者の関係を考えてみる

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仙台市の中学生が2017年4月に自殺した問題は、教師の体罰が原因だった可能性が浮上しています。体罰は絶対に許されるものではありません。このような、教師による体罰の報道を目にするたびに、私は昔の学校現場を思い出してしまいます。

あの「暴力教師」たちは今頃どうしてるだろうか

私は、すでに中高年と呼ばれる年齢層です。義務教育を受けたのは今から30年以上前になります。私が小学生あるいは中学生だった当時の頃を思い返すと、教育現場での体罰は日常的におこなわれていました。

先生が児童や生徒を殴るのは当たり前の行為で、むしろ体罰をしない先生のほうが珍しかったとさえ言えます。今なら間違いなく刑事事件として立件されるでしょうし、ニュースで報じられたり、懲戒免職などの処分になったりするのは間違いないと思います。

 

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通った小学校・中学校の先生の顔や名前を意外に覚えています。もちろん、今さら名前を挙げたりしませんが、覚えていることを3点ほど挙げてみます。

(1)普段はすごく優しくて笑顔が絶えない先生だけど、怒るとビンタが飛んでくる男性教諭。但し、この先生は進級でクラス替えしても何度も担任になりました。温情に厚い先生で、私は恩師と呼べる人だと思っています。

(2)「愛のムチです」と称し、「あなたも痛いでしょうけれども、私の手も心も痛いです」などと言いながら、生徒を並ばせて連続してビンタをしていった女性教諭。

(3)男前の熱血漢だけれども、気に入らないことがあると殴る蹴るの暴行を働く体育教師。ちなみにこの体育教師、生徒の鼓膜が破れるほどの暴行を振るう先生でした。あるときは体育の授業中に、あるときは林間学校だったか遠足だったかで、複数のクラスの生徒や先生の目の前で、生徒をボコボコにしたことがありました。同僚教師も暴力を止めませんでした。

その体育教師は、他校に配転になるとのことで、年度の途中から別の体育教師に代わりました。理由の説明はありませんでしたが、恐らく「行き過ぎた体罰」が問題となったのでしょう。私は殴られたことはありませんでしたが、暴行を受けた生徒は気の毒でした。

とりわけ、上記の(3)番の暴力体育教師は、いま同じことをすれば傷害事件として逮捕必至です。パッと思いついたものを3つ書き出してみましたが、これは序の口にすぎず、ほとんどの教師が強弱こそあれ、手を挙げるのが常識だった時代を私は経験してきました。

ただ、当時と現在で大きく異なる点があります。

先生の立場が強かった

上記のような、日常的に体罰がおこなわれていたにもかかわらず、保護者の間で問題になることはありませんでした。さすがに、上記(3)番については、被害に遭った生徒や両親が抗議をするなどし、教育委員会のほうで対処をしたのだと思います。ただ、それが体罰や暴行事件として報道されたり、警察沙汰になったりすることは一切ありませんでした。

当時は、学校や先生の立場が強かったように思います。やはり生徒や保護者は教えを請う側であり、先生は教えてくださる側ということで、一目も二目も置かれる存在だったと思います。

保護者の発言力が今ほど強くなった

殴る蹴るの暴行を受け、鼓膜が破れるほどの体罰であれば、同級生、あるいは同級生の親たちの間からも異論や抗議の声が上がっても不思議ではありません。ただ、同級生の間でも、子供ながらに学校側に抗議するといった動きもなかったですし、あるいはPTAなどが問題視して声を上げるとか署名運動が起きるといったこともありませんでした。

ネットやSNSのような手軽かつ強力な発信手段がなかった

これは上に記したような保護者の発言力とも関連しますが、昔は今のようにインターネットがありませんでしたから、問題を一般社会に提起する場合には、新聞やテレビに手紙を書いたり投書したりして、取材してもらうといった方法ぐらいしか有効な手段がありませんでした。

今ですと、例えば自分のスマホでテキストを打つ、あるいは写真や動画を添えてSNSやブログにアップすれば、瞬く間に社会に問題を知らせることができます。

 

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ネット検索の普及で知識が手軽に入手できるようになった

昔は、ちょっとした疑問が生じた場合、学校の図書館あるいは公営の図書館に行って調べる、あるいは本屋さんで本を買う、もしくは学校の先生や親に聞いてみるという方法ぐらいしかありませんでした。そのため、学校の先生や親は、人生の先輩として、あるいは知恵袋や物知り博士として、子供たちにとっては大切な存在でした(もちろん、今でもそういった特性はあります)。

ただ、今の子供たちは、小学生のうちからスマートフォンを親から与えられる家庭が多くなっており、疑問点が生じた場合、好奇心の赴くままにネット検索をすれば、何らかの答えが得られる時代となっています。そうなると、昔ならば「いろいろなことを教えてくれる偉い大人」という位置づけだったのが、「別に大人に聞かなくても、ネットで調べれば答えが分かる」という立場に「転落」してしまっているとも言えるわけです。

教師の疲弊と堕落

学校の規模、あるいは担当した時代等によって人数は異なりますが、教師は1人で数十人の生徒あるいは児童を受け持ち、子供たちに授業を通じて学問を教える職業です。それだけでなく、人と人との付き合い方や、集団生活の作法、マナー等を体得させる人間形成の場でもあります。

また、子供が抱える様々な課題や悩みの相談相手として、言わばカウンセラーの役割も担っています。本当に大変な仕事だと思います。現状は、ここまで列挙したような過去の教師のように、体罰という名の暴力によって生徒や児童を抑え込めた時代はとうの昔に去り、今では体罰は絶対にやってはいけない行為であるというのが常識となっています。

むろん、これが当然あるべき姿なのですが、裏を返せば、昔の教師のように暴力を行使すれば何とかなった時代ではもはやなく、言葉による対話で問題解決を図ることこそが求められているわけです。これは教師なのだから出来て当たり前だという意見も当然ありそうですが、実際には大変な心労を伴う仕事だと思います。

保護者に関しても、かつてのように、学校に対して一目も二目も置いている親だけでなく、ちょっとしたことで学校に怒鳴り込んだり、無理難題を吹っ掛けたりするモンスターペアレンツの問題がクローズアップされるほどですから、やはり大変な仕事だと思います。

一方、教師の苦悩という面とは別に、教師自身の堕落もたびたび問題となっています。教師が教え子と肉体関係を持ったとか、隠し撮りをしていたとか、様々な不祥事が起きています。こういった不祥事が起きるたび、子供達にどのように顔向けできるのかと不信感が募ります。かつて尊い存在だったはずの先生(体罰は振るうのは難点ですが)が、不祥事によって教師という存在自体が生徒や保護者から色眼鏡で見られるようになっては救いようがありません。何とかならないものかと思います。

先生・生徒・保護者それぞれが互いに敬意を払う姿勢が必要

このような学校現場を取り巻く問題をどうすればうまく解決できるのか、私自身もこれといったアイデアは持ち合わせておりませんので、何を言ってもしょせんは素人の戯言に過ぎないものです。ただ、やはり必要だなと思うのは、先生・生徒(児童)・保護者という、それぞれの立場の人々が、互いに相手に敬意を払い合う姿勢だと思います。

但し、それとて綺麗事に過ぎないのかもしれません。いわゆる学級崩壊や、前述したようなモンスターペアレンツの問題、これ自体も例えば「口やかましい粘着質の親」と言い切ることができない場合も当然あるわけです。大勢の生徒や保護者には理解してもらいにくいけれども、何らかの切実な問題を抱えており、それを聞いてもらいたくて不本意ながらも「モンスター」状態になっているというケースもあり得ます。

これを書きながら、うまいアイデアが思いつかず、思考がどんどん隘路にはまり込んでいく自分自身の思考に気づき、歯がゆくて仕方がありません。私のような外部の第三者には分からない、先生や子供たちの苦悩が現在進行形で起きているはずです。月並みな見解になってしまいますが、それぞれの立場を超えて、各自がお互いを思いやり信頼し合うこと、結局はこれに行き着くのだろうなぁと思います。それが出来たら苦労しないよ、と言われそうですが…。

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