渡部昇一さんが訳した「自分のための人生」のお陰で自殺せずに済んだ

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渡部昇一さんが亡くなったことを報道で知りました。

私の中で、渡部昇一さんと言えば、知的生き方文庫の「自分のための人生」(著:ウエイン・W・ダイアー、訳:渡部昇一)が忘れられない存在として、強く記憶に残っています。

進学校で落ちこぼれ悶々とした高校生

私がこの本を読んだのは、今から四半世紀ほど昔にまで遡ります。中学での成績は学年で10位以内。高校は進学校へと進みました。が、進学校ゆえに成績優秀とされた人ばかりの中で順位がつけられるわけです。あいにく私は落ちこぼれの身となり、学年ワースト10位以内が定位置という散々な成績の高校生活を送りました。中学までは得意中の得意だった社会科や理科といった科目が、高校ではより科目が細分化され、より深く掘り下げて学習するわけですが、いずれもパッとしませんでした。特に酷かったのは数学です。授業に全くついていけず、試験では何度も0点を取ったほどです。そして、3年生のときには担任から「単位を落とすと留年になり卒業できないかも」と告げられ、担任の勧めにより補習を受けさせてもらいました。

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当時の私は、常に鬱々とした精神状態でした。まぁ今も鬱々としていることが多いのですが、当時は本当に心が晴れることがなく、特に劣等感の塊でした。常に緊張状態にあり、周りからの視線を過剰に意識してびくびくし、おどおどしているような有様でした。成績優秀で自信に満ち溢れていた中学時代とは打って変わり、授業内容の難しさと精神状態の不安定さという負の相乗効果によって、目も当てられないほどのレベルにまで成績が落ちこぼれてしまったのだろうと思います。電車通学の途中で「電車に飛び込んだらこの憂鬱を終えることができる」とか、「でも、跳ねられるときは痛いんだろうな」とか、堂々巡りで考えることもしばしばでした(でも、まだ「跳ねられると痛いんだろうな」と考えられるだけ、マシだったとも思います。極限にまで精神を病むと、痛さのことなど考えずに発作的に飛び込む場合もあるでしょうから)。

補習の甲斐あって、かろうじて単位はいただく目途がつき、偏差値が低めの某大学を受験しました。が、あえなく不合格。浪人の身となりました。浪人中も、鬱々とした精神状態は相変わらずでした。むしろ、後がないというプレッシャーで押しつぶされそうでしたし、劣等感の強さは相変わらずでした。

大学受験に落ちて浪人中に渡部さんが訳した本に出会う

そんなときに、偶然出会ったのが、渡部昇一さんが翻訳した「自分のための人生」という本でした。この本の内容を超簡単に言いますと、「他人のためではなく、まずは自分のために生きよう。そうすることで、心の重荷が軽くなり、結果として自分も他人も幸せになれる」という内容が、具体的かつ平易な文章で書かれています。この世の中には、「他人にどう思われるか」とか「誰かの目を意識して行動する」といった、言わば「他人主体」の行動や思考がはびこっています。

もちろん、そうした他人の目というものがもたらすプラスの面もあります。が、自分の考えよりも他人の目や思考を過度に意識し行動することは、自分自身を卑下したり、自分が損をしたりしてしまうことにつながる場合があります。あるいは、もっとひどくなると、他人から自分自身の思考を支配されてしまうマインドコントロールのような状態になるといった、深刻なマイナスの側面が首をもたげてくる場合すらあります。

この「自分のための人生」という本には、そうしたマイナス面の事例と、それを断ち切る方法が、とても具体的かつ分かりやすく書かれています。そして、自分自身を卑下し強烈な劣等感に苛まれている思考を、自分自身で克服し変えていく方法論を提示してくれています。

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自分自身にとって有益な思考を自分自身の判断に基づいて選択する

私は、この本を読んだときに、強い衝撃を受けました。私自身は、これまで意識したことがなかったのですが、成績優秀だった中学の頃、そして落ちこぼれた高校の頃を振り返り、「成績優秀でチヤホヤされる=幸せ」あるいは「落ちこぼれて周囲から蔑みの目で見られる(思い込みも含めて)=不幸」といった具合に、「~だから幸せ・~だから不幸」という思考に陥っていたのだと気づかされました。この本には、「どういう状況に直面しても、それを自分自身がどう受け取めるかが肝要」といったことが書かれています。例えば、「あの人がこんなことを言ったから私は不快だ」と一般的に言われていることであっても、「あの人がこんなことを言った。その際に、私は不快になることも、不快にならないこともできるが、自分自身の判断で不快にならないほうを選んだ」という考え方ができることを例示し、自分自身にとって有益な思考を、自分自身の判断に基づいて選択することの素晴らしさを説いています。

この本に感銘を受けた私は、自分自身の思考パターンを変えるべく、書かれていることを実践しました。その結果、時間は掛かったものの、かなりプラスの考え方ができるようになり、浪人を経て合格した後の大学生活は、比較的有意義な時間を過ごすことができました。

イデオロギー的には相容れないですが感謝の気持ちでいっぱいです

原著こそダイアーさんの手になるものですが、渡部昇一さんが日本語訳を手掛けなければ、私がこの本に出会うことはなかったのだろうと思います。この本に出会っていなかったとしたら、恐らく私は悶々とした日々を続け、やがては自殺していたのだろうと思います。

一方で、冒頭にも書きましたように、渡部昇一さんと言えば、私の中では「自分のための人生」の訳者という存在だったのですが、近年、別の側面でその名を知ることとなりました。そう、「右翼的な論客として」です。いわゆる歴史認識や教育といった諸課題において、ときにその発言が論議を呼ぶこともしばしばありました。私は、いわゆる中道左派的な考えですので、イデオロギー的には相容れないものがあります。でも、やはり、若かりし頃の私の心の迷いを解く「バイブル」を世に送り出してくれた渡部昇一さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

どうか安らかに。

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